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この冬は例年にないほどの大雪になり、北の方、殊に海沿いの国々はこれまでに覚えのないほど、あれこれ難儀をしたとかで。
「いまだに音信不通のままな領地が結構あるらしいからの。」
京の都で国事を司る朝廷、帝や貴族たちの懐ろを支える糧や財は、ありがたくも地方地方の領地にて領民たちが働いて生み出すものであり。冬の間の生産性が落ちるのは仕方がないにしても、そろそろ春。様々な産業の事始めとして、この一年の吉凶を文字通り“占う”祭事や厄払いの神事も大真面目に行われる。初午、事追ことおい、春分に皇霊祭儀。天の神様、大地の神様、この年も皆して何事もないまま過ごせますように、願わくば 幸多く豊かにありますように。春分に墓参りをして先祖の供養をする“お彼岸”は仏教系統の行事だから、この時代ではまだ 神道といい勝負な普及ぶりに留まっていた筈で、
“政教分離なんて概念さえ、まだないしな。”
何たって『天照大神』が帝の先祖だってことを、そのまま政府である“朝廷”が信奉してますものね…って。だから、この時代の人間が言うことじゃないっての。(苦笑) 宗教に絡む絡まないは さておくとしても、宮中でも色々と春の行事が立て込み始める頃合いだろうに、しかも微妙に関わりの大きい部署の管理職でもあるくせに。相変わらずの不精か怠慢か、やはり出仕もせずの遅寝から起きて まだ間がない様子のそのままに。微妙に季節の合わぬ冬の色襲かさねの袷を、小袖の上、打ち掛けのようにその薄い肩口へと引っかけて。御簾をからげし間口から、とっくに昇り切った陽の光が降り落ちて、そりゃあ明るくなっている広間の少し下座。そこへと据えられた座卓代わりの文机に向かい、退屈そうな顔のまま、指先へ摘まむようにして書状を幾つか見聞している蛭魔であり。どう見たって 気のなさげな、お手紙をくださった方への不敬満々な素振りであるのに、
「目を通すとは珍しいの。」
「まあな。」
大陸や半島から海を渡って届いた貴重な文献や巻物ならば、関心もあるし熱心に読むが、そこいらの誰某から来たような文や書状へは、差出人を見て終しまい、が、彼の常だのに。封を開いているだけでも結構な扱い、一応は読んだらしいなんて破格…と解釈するのが、日頃の彼を知る者ならではな感覚であり、
「持って来たのが上司の子息で、表書きこそ“神祗官様”からとなっているが、中身は持参した御方が綴られし文言と来てはな。」
「ふ〜ん?」
陽を透かして綺羅らかに、淡くけぶっている金の髪も金茶の瞳も。まるで上質の白蝋のように、奥深きところに沈みし白を透かしているような なめらかな肌も。花のような嫋やかな顔容かんばせ、細工もののような指先。どこぞの深窓の姫御とも変わらぬほどに、ほっそりとした顎の線やら喉元、頼りなさげな肩の線やら。線が細くて幻の如く、蒼い月光の下にこそ映えそうな、妖冶にして華やかな見栄えをも…裏切っての、天にも地にも怖いものなしの唯我独尊。人にも邪妖にも敵は多いが、そんなもの何するものぞと言わんばかりに、笑い飛ばすよな豪傑が。今更 何を謙虚な物言い、相手の立場に平伏したような言いようをしておるのかと、鋭角的な三白眼の目許を眇めて見せた黒髪の侍従殿だったものの、
「ちびの実家にまつわる動向の報告とご進言だからな。わざわざ気を遣っていただいただけの礼儀は見せねぇと。」
まだ上がり切らぬ瞼も重たげなまま、お行儀悪くも文机へと肘をついてのお言いようだったが。そんなそれへと、
「あ、成程な。」
そうか、それなら まま理解も及ぶかという解釈となるところもまた、黒の侍従殿がすっかりと家人、家族も同様という“かかりうど”になっていればこそ。あの小さな書生くんは、表向きには 行儀見習いというのが前提の“預かり物”ということになってはいるが、元々の親代わりということになっていたお家とは、どこまで学べばという限りも、いつまでという約束も取り交わしてはおらず。よって、好きなだけ此処にいて、好奇心の及ぶ限り何でも学べばいいという扱い。そもそも、彼を此処へと直接送り出した家の者としては、自分らには把握し切れなかった“何か”が憑いていたらしき彼を持て余した上での“厄介払い”という気色が強かったほどなので。それが解決してのこと、そりゃあ伸び伸びと健やかに過ごす彼だと判っても“じゃあ帰っておいで”とはなかなか言いにくかろう。
“そこのところはなかなか謙虚で、褒めてやっても良いほどだがな。”
貴族に限らず何かと厚顔な者の方が多い今時、自分らのやらかした図々しい行為へ恥じらいを感じていようとは。しかもしかも、
“今や東宮にまで名指しで可愛がられている和子だのに、ウチの係累ですとも言えぬまま、指を咥えているだけだなんて。”
少しでも見栄の材料は見逃さぬ昨今には、確かに謙虚ではあるかとこっそり苦笑した総帥殿が、そこから連動して思ったのが、
“そんなちびさんへと心を砕いてくれる人々へは、一応の気遣いも欠かせないというところなんだろな。”
天涯孤独にして孤立無援な、この若き陰陽師にとって、不安が取り払われたことですっかりとお元気になり、今や無邪気で愛らしいばかりのセナくんという存在は、もはや掛け替えのない家族になりつつあるというのも判るから。
“本人に言っても、そんなつもりじゃあない、自分にも大いに関わる情報だからだ…くらいの言いようで、しれっと流したりするのだろけど。”
わざわざ怒らせてもしょうがないから、口に上らせまではしないけど。ホントは可愛い奴なんだよななんて方向で、のほのほと悦に入ってる総帥さんへ、
「…何か勝手な思惑抱えて盛り上がってねぇか? お前。」
うわぁ、鋭い。(笑) 何のことやらと誤魔化すように、不自然な笑みを重ねた口許が…微妙に引きつってたことで、ご指摘をあっさりと肯定しちゃった蜥蜴の総帥殿へ。いつもだったらもう少し、容赦なく、完膚なきまで突っ込むところ、
「ま、そりゃどうでもいいこったが。」
おおお、流すとは珍しい。細くて綺麗な白い指を立て、文机の上をとんとんと軽く叩きつつ、蛭魔が“ツッコミ”よりも優先したのが、
「紫苑殿が言って来たのは、
近々 小早川のとある分家が ちびの後見にと名乗りを上げて来かねないから、
大人たちで重々注意してやれってことでな。」
「後見?」
今さっきご説明申し上げた、親代わりに彼を引き取っていた家の話だろか?と、怪訝そうに眉を寄せた葉柱の意を何とも自然に察してしまい、
「セナを持て余した揚げ句に此処へ預けてった家のことじゃねぇ。」
「…ふ〜ん?」
あんたたちが以心伝心なのは判ったが、そんなはっきりと にべもなく言ってやらんでも。(う〜ん)何とも情けない呼ばれ方をしているほうのお家のことではないということは、
「ちびが籍を置いてる家ってのが、本人の頭の上で勝手に変わるってことさね。」
ウチに居るのはあくまでも“行儀見習い”のためであって、籍まで移しちゃあいないからなと、言わずもがななところを今度は口にし、
「手を焼く性分の子供でもその霊力には未練たらたらな家が、他にもちゃっかりとあったらしいってこった。」
セナがまだ子供だから…後見が要りようなギリギリの年頃だというところへ着目しての、そんな巧妙狡猾な仕儀がこっそり動きかけているのであるらしく、
「何だか犬猫の仔みたいだの。」
右も左も判らぬ乳飲み子でもあるまいに、本人の意思は置いといてというところへだろう。人間のやることはどうも判らんと、ますます眉を顰める黒髪の式神へ、
「小早川といや、陰陽に関わる者らの世界でも指折りの、結構な規模の家系だからの。」
よって、大きに威勢のいい分家同士の間では、何につけ競争も盛んなのだとか。そうと言われて、
「その競争とやらの延長の話なんか?」
問えば、事もなげに是と頷く金髪痩躯のお館様へ、ますます表情を顰めるところが、何とも正直な総帥殿で。
「ホントの親御さんには何の承諾もなしかよ。」
やはりそう来たかと蛭魔がやんわりと苦笑する。
「そんなもん、最初に手放した時点で権利関係も断たれている筈だっての。」
「権利って…。」
「大方、この家に居たのでは望めぬ出世だと、むしろ喜ぶよう諭されたんじゃね?」
情なんて甘いものが一切入り込めないような、業突張りな本家筋による力づくの連れ去りだったろに。せめて良い方へ解釈せよと、身近な取り持ち役などが慰めたに違いなく。そして、
「……………。」
そういうのを一番嫌いそうな奴だよなと、鋭角的な目許を眇めた無言の構えなままの葉柱の心情を察してやって、
「古い家だから仕方があんめぇ。」
こんな話、他にだって掃いて捨てるほどあんぞと、それこそ宥めるように言い足してやる蛭魔だったり。肘をついていることで袖口が下がり、それで剥き出しになった腕が陽光にさらされて、常よりも目映いほど白い。そんな腕の先、綺麗な手での頬杖をつきつつ、
「そもそも小早川の家と武者小路の家は、帝に縁のある家系でもなければ豪族出身でもない。純粋に咒や方術の腕だけで今の地位を得た家系だからな。」
朝廷から賜った官位も領地も、その功績に対して後から受けたもの。結構な財産と厚い人望とを、その創始者たちの力量にて元から持っていた一族だそうで。人の心に宿る陰に付け込む、闇に潜みし邪妖や悪霊。災禍や悲劇を生むよな、洒落にならない規模のもの、取り除いて来た咒術の実力の上に築かれた家名であることは、その筋の者なら幼い子供でも知っているのだとか。
「そんな家だから尚のこと、家名の存続に絡む権勢争いとかいうのが、殊の外に激しいんだろうよ。」
外には敵なし、されど家中には敵だらけということか。水茎の跡も麗しく、そりゃあ見事な筆さばきにて綴られし書簡をいじりつつ、蛭魔が も少し解説を続ける。
「今の小早川の宗家の惣領は、もう結構なご老体でな。前にも言うたが、血統へのこだわりが少々風変わりな家なんで、跡取りは実子や直系でなくとも良いっていう究極の能力主義だ。よって、本来ならばセナの親たちの世代から選ばれるところだが、あの霊力とそれから、東宮との縁があるからの。」
そう。セナはその生家から、高い霊力だけを見込まれて、やや強引に宗家に近い分家の一つへと引き取られた子供。ところが、あまりに小さすぎたことから なかなか咒を覚え切れず、しかも引っ込み思案であったところが同じ境遇の子供らからのいじめの的になってしまい。そんなこんなが起因して…不思議なことが起こり始めた訳だけれど。それが何とか落ち着いたのみならず、次の帝になられる御方、桜の宮様にそのお傍まで来やと可愛がっていただいてもいるとなると、
「武者小路の今の惣領が二代に渡って務めた神祗官の座、もしかしてあれほどの存在ならば、次の候補者になれるかも…なんて。皆して そうと踏んでる傾向は確かにあるらしいからの。」
処世術には関心が薄いくせに、世間の動向にはきっちりと眸を配っている彼らしく、まるで他人事のように面白がって“けけけ…”と笑った蛭魔へと、
「そうそう上手く運ぶものか?」
人の世界の綾というものは、邪妖という身の自分には一向に判らないことだけれど。神祗官といえばかなりがところ 位の高い、しかも特殊な専門職なんだろうから、
「やたらとコロコロ、家風の異なる者へと引き継がれて良いもんじゃなかろうに。」
「おや。そういうもんかね、お前らから見ると。」
邪妖代表の貴重なご意見だなと、口の端を引き上げて笑いつつ、茶化すような言い方を挟んでから、
「それが叶わずとも、それならそれで、神祗官補佐という座もあるしの。」
現在の補佐殿が“さも可笑し”と笑って見せた。やり甲斐のある仕事への熱意やら渇望やらではなく、ただ単にご大層な役職や肩書がほしいだけの彼らであり、工作なんだろうと見越しての言いようであり、
「そんなこんなの裏工作とか、まだはっきり掴んだ訳ではないながらこそこそと蠢く気配があるようだから、保護者の俺に“重々気をつけろ”だとよ。」
そうと綴られし書状なのだろう、机の上のお手紙をとんとんと指先で叩いて、
「ま、どうせすぐにどうこうって話じゃなかろ。それに、肩書がどう変わろうと、本人が寝起きするのはこのあばら家屋敷なんだしな。」
そこんところは当分は変わんねぇよと、けらけらと笑った蛭魔であったのだが。
ちゃらんぽらんで強引で…と見せながら、その実。結構用心深くて、何事へも最悪の事態を想定しての先読みを欠かさない こちらの術師でも、予想が外れることはあるものだと。家中の者らが例外なくの全員で愕然とした事態が襲い来たのが。それからさして日の経たぬ、やたらと風の強い曇天の昼下がりのことであった。
◇
今にも嵐が来そうなほどに暗雲垂れ込めし、あんまり吉兆は覗けぬ空の下を重々しくもやって来た“事態”のその正体は…。そんな曇天でも奥深いつやの出ている上等な漆塗り本身の端々に、これまたきらきら輝く繊細豪奢な金細工の数々もそれは見事な、なかなか仰々しい輿を率いて来た“ご使者一行”であり。桧山坂下という地に大きな屋敷を構える小早川の分家の長が、どうあっても瀬那様を養子に迎えたい、籍の上での契りのみならず、その可愛らしい和子を同じ屋根の下に住まわせたいとの想いを切々と綴りし文とかいうのを携えて来られ。ご使者殿というのがまた、ご丁寧にもその文面を奉上して下さったので。受け取りはしたが読む必要もなくなった文を、封も切らずにそこらへ捨て置いた、金髪痩躯のお館様、
「確か…そちらには、もう跡取りがいたんじゃなかったか? それにそのまた子供ってのも、この俺と変わらない年頃のがいなかったかな。」
「おやおや、さすがは神祗官代様。よくぞ、拙家の事情をご存じですな。」
前触れのなかった急な訪問という、立派に礼儀知らずなことを敢行した奴にはこれで十分と。特に片付けもしないまま、散らかりっぱなしの煤けた板張りの広間へお通しした、恰幅のいいご使者殿は、そのまま幇間ほうかんと肩書を変えてもやってゆけそうなほどに、口が達者で表情も明るく軽く。
「確かに、次代を担う若も、そのまた和子様もおいでの家ではございまするが、実を申せばそのお孫様がたった一人の和子さま故に。ご本人様もそして周囲の者共も、何とはのう心細いというか。もうお一人ほどご兄弟があってもと、惣領様からして常々お思いになっておられたところ。」
だったら爺さんか父上か、側室でも何でも抱えりゃよかろうに。大体、俺と変らん年頃だって事は、そいつ自身がどっかに女の一人や二人、抱えてんじゃねぇのか?と。わざわざまくし立ててやるのも馬鹿馬鹿しい言いようへ、こっちもいかにも見え見えに…立て膝に頬杖という行儀の悪さを発揮し倒し、うんざりとした様子で相対してやれば、
「どうやら。お館様には乗り気ではございませぬご様子。それほどまでに、あの和子様がお手元から手放せぬと?」
持参しました金子も絹も山と積んだし、憚りながら新しいお家は格がすこぶる上だから、セナが先々で名乗る肩書の家柄も上がる。坊やにもこちらのお館様にも、こんなにいいお話でございまするのに、はてさてと。急に声を潜めての、何やら怪しげな口調になった太鼓腹の太鼓持ち。どうやら今度はあらぬ詮索を持って来ることで、こっちを挑発し激高させて焦らせる手かのと、そんなくらいの作為には乗りっこない百戦錬磨のお館様が、
「そうじゃと言うたらどうするのだ。」
選りにも選って、くすすと笑ってとんでもない言いようをしたもんだから、
「…っ! 進さんっ、葉柱さんを止めてくださいっ!」
「てぇ〜いっ、離せ、ちびさんっ!」
ご使者たちを招きいれた側とは反対側の、妻戸の向こうに待機させてたセナくんの、介添えだった筈の総帥様ったら…何やってんだか。(苦笑) 一応は声を押さえていたのと、何だか外の雲行きも…ますますのこと暗くなりつつあっての風音が高まっており。そんなおかげで、こっちのすったもんだは広間にまでは伝わらなかったらしかったが、それはともかく。
「さようですか、それほどまでの思い入れ。手放すのは寂しいと。」
さすがに公に大声で触れ回ることではないながら、衆道の趣味自体はさほど…貴族階層なんぞには、目を剥くほどにも特異なものでもないからか。自分から先にそれを匂わせるような言いようをしたせいもあってだろう、ご使者殿も絶句まではしなかったが。
“だからって名誉なことでもないんだのに。”
まるきり困った様子のないままに、そんなとんでもないことまで言い出したお館様には、正直なところ、セナだってびっくりしてはいる。腹いせにって妙な風聞を立てられたらどうするのだろうか。それでなくとも世間では、色々と誤解されまくってるお館様なのに。本当はお優しいのに、ただの物知り・辣腕だってだけでなく、邪妖封滅の仕儀の際には出来るだけ情のある対処をなさるような方なのに。
“…そういえば。”
いつだったかこんなことを言ってたお館様だったのを思い出す。
『どうでもいい馬鹿者たちには言いたいように言わせておけ。』
確か、ムカデの大妖に襲われたお仲間を庇った葉柱さんを、このお屋敷で看病していた時じゃあなかったか。その邪妖を武者小路の御曹司様が封印なされたことから、市中で他所の家の人から“それに比べてそちらはどうよ”とさんざんからかわれてしまったの、憤慨していたセナに向け、怒りもなさらずそうと仰有ったお館様。こちらからも見込んだ方々からは、ちゃんと正しく理解されている。それで十分だと笑ってらした。
“…でも。”
今日のこのご使者さんの場合はちと違う。単なる憶測じゃあなくて、お館様の口から聞いたことだと吹聴出来る。自分を連れに来たというお相手が、お館様を困らせている。
“う〜〜〜。”
このままでいても良いのかなぁ。お館様は任せておけとお言いだったけれど、ボクだってこのお屋敷にいるのが一等好きだけれど。だからって、
“お館様に余計な傷を負ってもらう訳にはいかないよう。”
どうしよ、どうしよと、迷っていると、
「それではこういうのはいかがでしょうか。
今日だけのご対面、我らが惣領に、一目だけでもお目文字下さるというのは…。」
いきなりのそんなご意見が飛び出したのには、息をひそめていたこちらのみならず、直接相対していた蛭魔までが、不意を突かれた観があり、
「…お前様は一体、どれほどの権限を持ってそのような大胆な言いようまでしておるのかな。」
まるで彼本人がその惣領であるかの如き、僭越とも取れそうな申し出だ。のちに判ったのが、この男、その分家とやらに日頃から務めている人間ではなかったらしく。どんな難物相手でも、粘って粘って口説き落とすことにかけては京でも随一と言われていたほどの、口上名人の男。そんなところを見込まれて、即金も即金の金の延べ板という大枚を積まれ、どんな手を繰り出してでも良いから、何がなんでもセナ様を本日今日中に屋敷までお連れしてほしいという形で依頼されていたのだそうで。
「形ばかりの親代わり、後見になるだけでも至福ではございまするが、なにぶん、老い先短し惣領でございますれば、せめて間近にお顔を拝見したいとのささやかな願い、どうかお聞き入れ下さいませぬか。」
やはりつらつらと語られしは、情感たっぷりの言い回し。
「惣領は瀬那様のご生家の方へも使いをやられて、お生まれになられし頃のことなど何でも聞いて来やとなされるほどに、それはもうもうご執心のほど甚だしく。」
「も…」
御託はもう良い、聞いてはいられぬと。とうとう五月蠅がっての力技にて追い出そうとしかかった蛭魔だったのだけれども、
「ボク、ご挨拶に伺います。」
――― はい?
後見が頭に血を上らせていた隙をつかれたか、からりと開かれた妻戸の縁に、きちんと四角く座っていたセナの発した、それは澄んだ一声は。お館様の苛々をも一瞬静めたほどに、そりゃあ潔い代物ではござったが、
「何を言い出すかな、こいつはよっ!」
大人の話し合いに子供がしゃしゃり出てくんじゃねぇと、実は…それって理不尽だってこと、多少は憤懣やる方なしな気分でもいたはずの蛭魔が、それを忘れて激高したほどだったのだが、
「だって…今日の一時だけ、会うだけでいいというんでしたらば。」
「そそそ、そうですよう。お館様。」
ほんの一刻だけのご対面。お菓子なぞ振る舞われての歓談を少しほど、その後はこちらまで厳重にお送りいたしますからと。安請け合いのとどめに入った幇間野郎へ、
「送ってくれんでもこっちから迎えに行ってやるわ。」
桧山坂下といやぁ、ここといい勝負の僻地だからな。色んな意味で物騒なんだってのと、せいぜいの厭味を言い放ち、だがそんな買い言葉を返したことで…しまった、そうまで言うなら行ってもいいぞと、こっちからも言ったようなもの。選りにも選って、身内の、しかも庇おうとしていたご当人からの妨害にあったとあって、
「………っ。」
苦々しげに口元を歪めた蛭魔に睨まれて、ごめんなさ〜〜〜いと情けないお顔をした書生の坊や。まさかこれが、とんでもなく不安な別離を招こうとは、この瞬間の彼らの誰も、思いも拠らなかったことだったのであった。
◇
たかが元服前のお子様のご招待への供にしては仰々しいほどの頭数にての行列が、門からしずしずと離れて行ったのを、一応の用心からずんと遠ざかるまで見送った葉柱が戻ってみれば。広間ではまだ、お館様が憤然とした様子にて腕を組んで座しておいでであり、
「進もこっそりとついてるんだ。心配は要らねぇんじゃね?」
あっちの朴念仁さんは邪妖である自分とは存在が違い、一応はどこぞかに祀られし武神様だそうだから。陰陽道の権門のお家に行ったとて、敷居が高くて…もとえ、結界があって入れないという支障は起こるまい。
“だからこそ、坊主の身を守らんとして暴れることだって出来たのだしの。”
妙な格好でながら実証済みなこととて、そっちの方面へは不安を抱くこともなかろうと諭せば、
「………。」
いかにも拗ねたように、ふいっとそっぽを向いてしまうから。誰ぞのことを心配しているという、いつもの彼らしくない肅々とした風情なのが自分でも癪なのか。あの坊やのこととなると、ほらみろ、素があっさり出るほどに可愛い奴じゃんかと。随分と方向違いなところで こっそり惚気ていると、
「見え見えなのが却って引っ掛かるな。」
――― はい?
拗ねてもいなけりゃ照れてもいない。いつもと同じに冴え冴えとしたお声にて、そんな一言を仰せの彼であり。そして、
「…というと?」
自分の抱いた甘い思惑が外れたことよりも今は、何に気掛かりを感じているのかを気にしてしまう蜥蜴の総帥。伊達に付き合いは長くはなく、そんな呼吸も当然ということか、
「昨日も言うたが、ちびさんはあの霊力だから、ゆくゆくは小早川の宗家さえ継ぎかねぬ身だ。」
蛭魔の側でも取り繕うような言い分はまるきりなしに本題へと入る。
「対抗馬がいたとして、その後ろ盾や取り巻きが何とか踏ん張って、その結果としてそれは果たせずとも。それならそれで、東宮に可愛がられているところから、朝廷での権勢を広げるなんていう別口の野望や旨味にありつける。」
だから、その後見につけば、どう転んでも羽振りの良い将来が待っている。それだから躍起になるのは判らんではない。
「ただ、あの家には跡取りが既にいる。」
「ああ。言ってたな。」
今の惣領の息子らしき跡取りとそのまた息子が、既にいるとか。まま、セナの身の上にて取り沙汰されるのは、も一つ格が上の“宗家の跡取り”の話なんだから、そっちはそっちこっちはこっち、関係ないっちゃ関係ないのではと言いたげな葉柱の視線へ、
「俺の情報力を甘く見んなっての。」
蛭魔はどこか憤然としたような顔になり、
「恐らく、その孫ってのは実は爺様の実子だ。」
「………はい?」
おやおや、そんな意外なことまでご存じで? しかも、それをもって、
「セナを通して帝や東宮に取り入りたいってな、世間的にも単純な欲からのことならまだ良いが、どうあっても宗家の跡を継ぎたいと、そっちこそが連中の目的なんだったら?」
それこそ ややこしいことを言い出した蛭魔であり、
「しかも、だ。年頃も継ぎ頃の間違いなく自分の正嫡がいるのに、どこぞかで若いのに新たに生ませた、まだまだ子供の未熟者を、わざわざ家に入れたのは何でだ。」
「えっとぉ…?」
そんな他所んチの事情なんかにまで推量を巡らせているのも妙なこと。そんな事情の一体どこが、セナくんへと絡む話なのやら。何が言いたいやらが見通せず、葉柱が言葉に詰まったその代わり。表の方から何やらざわざわと家人らが立ち騒ぐ気配がし。そうして、随分と暗さの増した空の下。庭先へやっとのことという風情にて、姿を現した影があり、
「…進?」
「やられた。」
頽れるように膝をついた武神様。頬や肩、脚などには酷く割かれた傷も多々あり、装束も傷んでの無残な姿。この彼がこうまで撃たれ、しかも手ぶらで戻って来るとはただごとではなく。いやな予感をその手に握り、何事か覚悟した蛭魔へと告げられたのが、
「主あるじが…得体の知れぬ何物かに輿ごと攫われた。」
「…っ!?」
彼らの頭上の遥か彼方にて、とうとう雷鳴の響きまでもが低く轟き始め、都を覆う暗雲が不吉な陰とともにその胎動を始めたのでもあった。
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